2007/11/04

最近思うこと。

会話の中で、「あれ、これ、それ」という言葉を使用する機会は多い。
この言葉は文章にすると何を指しているのか明確にしなくてはいけない。

しかし、会話の中においては、何を指している指示代名詞なのかは明確。。。

何が言いたいかと言うと、言葉で説明すると言うことは比較的楽。
それに対して、文章というのはとても大変なのです。
誰が見ても分かるような取扱説明書というのは、実はとても緻密なものであるはず。

ただ緻密なものであるから、保険の契約書みたいに、何を言っているのかわからない・・・
読む気すら失わせるものになってしまう。

仕事の話になって恐縮だけれど、文書を作って提示したとしても、
相手が理解できなければ、作った文章は提示したにしか過ぎず、相手を納得させたことにはなりえない。

つまりそういうことなのです。
「だめだ。やり直せ」と言われた時に、どうしてだめなんだ?あなただけが納得できていないことなのではないのか?と思うけれど、身内を納得させられない文書を書いているのだと。そう感じることということができるかできないか。

ここはこういう風に直した方がいいな。
もうちょっと見やすくしてみよう。
具体的な例の方がわかるな。
このようにシミュレーションをすることによって、自分の作ったものに不足しているものが見えて来ることも。


教職を取っていた時いろいろ工夫をして、カリキュラムを考えたけれど、その時の持論としては
興味のない人にいくら説明したとしても、受け入れる態勢がとれていないのだから、教えることなんて不毛にしか過ぎない。と思っていました。

でも今思ってみると、興味のある人というのは、いろいろな考え方からテーマについて探りを入れるからこそ納得がいくのだろうなぁと。自分が納得させているのではなく、相手が勝手に納得しているにしか過ぎないのではないか?結果的にはそれはそれでいいのだけれど、ここで考えなくてはいけないのは、納得できない人をどう納得させるか。


説明書を作らなくても直感的に使えるモノを作ることも大切だなぁ~と。
あれもできます。これもできます。ということよりも、これだけができます。
と言った方が相手はわかりやすい。
ほかの事については考えさせない・・・不安にさせないということに。


コミュニケーションって難しいですね。
一緒にお酒飲んで、食べ物一緒に食べたら、大抵はコミュニケーションとれるけれど。
そういうきっかけがとれる/とれないでかな~り変わってくるものナノカモネー(・ω・)b


そうそう。文章からイメージってどこまでできます?
頭の中にイメージを描くことができます?


と文章でつらつら書いてみる。
自分の頭の中の脳内メーカーしてみればいいのかなw
週報は脳内メーカー方式で!って言うのはある意味わかり安いって本気に思う。

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