2007/12/20

「考えること」から広がった妄想

元ネタ


 「考える」という言葉を非常に安易に使っている人が多いと思う。学生に「考えてきたか?」と尋ねると、「考えましたが、ちょっと良い案を思いつかなくて」と言う。「じゃあ、悪い案を幾つか見せなさい」と言うと、きょとんとした顔で、「いえ、悪い案も思いついていません」と言う。「考えましたが、まだ、ちょっとまとまらなくて」と言うから、「では、まとまらないものを見せて下さい」と言っても、たいてい見せてもらえない。 こういうのは、僕の場合「考えた」とはいわないのである。 「いろいろ考えてはいるんですけどね」と言い訳する人には、その「いろいろ考えたものを見せてくれ」と頼む。ところが、たいていは、せいぜいあっても1つしか案がない。1つの案しかないのに「いろいろ」なんて言うなよ、と思う。1つでは選べない。これでは何を考えていたのか、問いたくなる。



(中略)


多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。同様に「悩んだ」も「悩もうとした」である。否、たとえ考えようとするだけでも、100時間くらい考えようとしていれば、なにかは実際に考えるだろうし、そして、考えれば、なにかは思いつくだろう。きっと具体的な案がいくつか出てくるはずだ。ほんの一瞬だけ考えようとしたくらいで「考えた」なんて言わないでほしい。 沢山の具体案を考えることは、無駄なようでけっして無駄ではない。採用されなかった案が、その人の将来の持ち駒になるからだ。





仕事をする上では当然そうだと思う。述べている内容は全く持ってそう思う。


逆に、考えてきたか?なんてまず言われないのでは?
ダメダメな場合、もう二度と仕事を与えない。
わざわざダメなところを指摘するくらいなら、自分でやるOr他の人に仕事を任す。



ケースとしてはこういうことって多いと思う。。。



そこで、広がる妄想。
何か考えなくてはいけない状況になった場合、

・考える内容は明確になっているのか?

→考えを出すためには思考が停止しては意味がないので、
自分の脳で考えられる内容であるかないか。
考えられない場合、如何に早くHintを得られるか。
あれこれ考えてみても、脳の中で考えるものだから、とりとめもないことに。

やはり、何かに記録するという行為は必要デスネ。
色々考えているは嘘ではないけれど、脳にInputされつくしていない混沌とした状態になっているだけかと。それを纏めるという行動に気がつけば考えて考えてもー考えるのつかれたーっていうことにならなくて済みそう。



これってつまりは、考えてみてすぐやってみるっていうことですよね。
下書きして清書する。
とりあえずBeer並にJust Do It!




・相手を納得させられる裏付けができているか?
 →「いろいろ」という言葉が問題視されているけれど、「色々考えてみたのですが、(あなたの求めている答えを見出すことができませんでした)」というニュアンスもあるかなぁ。

うーん。

行間を読むわけではないのだけれど、いろいろっていう中に何か含まれていそう。
それを許容するかしないかは聞き手が決めることだろうけれど。



そもそもここで言う「考える」ということ自体曖昧な気もしてきた。
日本語の言葉って「すべては神のおぼしめし~~~」的なニュアンスがあちこちにある。
「~だ」とではなく「~だと思う」「~のような気がする」




ウーン。

うやむやが嫌いなのであれば、はじめから答えが明確になるような質問を用意するべきなのかなぁ。
ネチネチ怒っても何もならないから。私だったら~怒る気にもならない。
質問をされた側はされた側で何をしなくてはいけないのか?と言う事を明確にしておくことでしょうねぇ。やる/やらないの信頼関係が築けているか?にもつながる気もしてきた



うーーーーーーーーーーーーん。





考える
記録する
定期的に整理
言葉にできる



こうすれば「いろいろ」という言葉を使わなくて済みそう。





いろいろって便利。
いろいろ大変なの。
いろいろあってね~。
エロエロじゃないのよwww





どこかで引っ掛かっていたのが、こういう問答って、
今聞いていた話理解できた?じゃぁ話してみて というのと似ているような気がして、
それにうまく答えられない様子が思い浮かんだからだ・・・

なんか建設的じゃないなぁ

ダメだったらちゃんとしたもの出せで済むことで、
わざわざ相手を追い込むという自己快楽に走っているんじゃないかなぁ?と。

どうやったら相手に自分の非を認めさせ、軌道修正するか。
そして意欲的になるかに誘導させる表現の方が好きだなぁ~

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