2008/04/26

文字というのが本当に意味をなすのか疑問を感じるようになってきました。

いくつかの試練を乗り越えて最後のBOSSを倒すRPGみたいに
現実社会でも試されるということが。

結果を事実として残す。

事実が何も残らなければ、やった意味はないのでしょうけれどネ。
資料を大量に作成したとしても、使えない資料であれば何の意味もない。
文字だらけの資料というのも、まったくもって意味を持たない。

不思議に思うのは、文字からどうしてイメージすることができないのか?
Tv、漫画がどうして伝えやすいのか?
Tvで何故あれだけテロップが出るのか?

何か隠されているような気がしてならない。

資料を読む人の読解力を試すわけではないけれど、
自分で言葉でイメージできないものは、どうしても絵をかかなくてはいけないのだと思う。

打ち合わせの中で
これをやりましたか?
何が残っていますか?

こう言われた時の解釈を考えてみると

これをやりましたか?→あれ?打ち合せ内容がまだ終わっていないよね?
何が残っていますか?→一つ終わっていないというのがあるのであれば、他にも残っているのでは?

やらなくてはいけないのは・・・
1.打ち合せ内容の一覧表(○×レベルのもの)
2.一覧の詳細

言葉を使うということと、絵にかくということで異なる点は、
思考の中でワンクッション置くかおかないかだと思うのです。
相手に何も考えさせたくないのであれば、シチュエーションをすでに作った状態にして、
言葉で伝えればいい。。。

ということを考えてみると、
例えば、打ち合せ内容の一覧表にしても、表を見ただけでは○×が書いてあるだけで、
何が○で何が×なのか?という詳細は分からないのです。
index→contentsとあったとしても、
文字の連続である限り、読む+イメージへの変換という作業がある。

大人はどうしても文字で表現したがるけれど、
もしかしたら文字では納得できないということが多いのかも(大人の世界では黙認している?)

例えば、契約書や注意書き。
小さくてよくわからない。
どういうケースの場合について書いているのでしょうか?
どういった解釈なのでしょうか?

実はイメージするということはストレスなんじゃないかなぁ?と昔から思っています。
ただそれというのも、自分のイマジネーションが乏しいからかもしれないですけれどネ。
人と会って話をする時首をかしげるシーンを見る→理解をしていないサインが出ている
理解をしてもらうために、手法を変えて伝えるのではなく、
理解してもらう前提を作り、その上での理解をしてもらうということが身に付いているとよさそう。


言葉に意味を持たせない。なんだかそういうことって実際ある気がする。。。
敏感に反応する言葉はあるけれど、単なる点の集合でしかないような気もするし、
全くイメージもできない文章も。

生活において目から入る情報が大きすぎるのでしょうね。
新聞→TvのNews→Netのニュース

さてはて。。。

文字に接する機会が減ることによって、どういうことが起きるのかということに興味がある。